会員数2050(世帯数)
現在の八幡町(2024年11月1日現在)
位置
埼玉県草加市の北東部
最寄りの駅
新田駅
東武スカイツリーライン(東武鉄道)
八幡町まで徒歩約15分から30分
【バス】
東武バス
新田駅東口から獨協大学前駅東口行き乗車
↓
「八幡町入口」「法務局前」「草加高校入口」下車
獨協大学前〈草加松原〉駅
東武スカイツリーライン(東武鉄道)
八幡町まで徒歩約20分から30分
【バス】
獨協大学前駅東口からコミュニティバスのパリポリくんバス柿木公民館行き乗車
↓
「八幡郵便局前」「八幡小学校」「草加高校」も最寄りのバス停下車
人口(八幡町)
9033人(令和6年11月現在)
市内で3番目
世帯数
4360世帯(令和6年11月現在)
市内で2番目
面積
996700.01㎡
市内で2番目
小学校数
小学校2校
八幡町の歴史
私達の郷土の一部は、新綾瀬川の他は殆ど古綾瀬川に添った草加市では古い村です。
古書によりますと、元禄時代より始まり天正18年に徳川氏の所有となり、代官が設けられ宝暦3年に高入り(検地をうけて、石高を定めること)になったと記されています。
明治元年に武蔵県知事に属し、同2年には小菅県に転じ、同4年に埼玉県の管轄となりました。
部落名「槐戸」(さいかちど)は古綾瀬川の提防に沢山の「槐」の林があった事から、槐戸と命名されたと伝えられています。
また、鎌倉時代には谷古田領とも言われたそうです。
部落の戸数は60戸、耕地は青柳前宮沼、笹塚、猿堀、戸ケ袋、樋籠、曽根等で田畑70余町歩の純農村でした。
西南は中曽根、南は宮沼落を境として、篠葉に東は越戸橋より北方から西方は前述の古綾瀬川を境として川柳、蒲生に接しています。
槐戸は明治初年小菅県であったが、同4年東京都と埼玉県足立郡槐戸となりました。
- 明治22年4月に町村合併施工に依り新田村槐戸となり
- 昭和30年1月1日町村合併に依り草加町槐戸となった
- 昭和33年11月1日市制施行に依り草加市八幡町と改称され現在に至る